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いつか、どこでもない場所で

ひょっこり軍艦島~軍艦島上陸記  

さて、前回の記事でもお分かりのとおり今年の夏休みは長崎に旅行してきた訳ですが、「折角来たのだから!」と思い、軍艦島クルーズに参加してきました。
その時の様子を、いつものおちゃらけは抜きに、真面目にレポートしてみたいと思います(既にタイトルからしてふざけてますが....)。

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奈良原一高「人間の土地」での全景ショットに1番近い角度から撮った1枚。



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軍艦島こと端島(はしま)は、長崎半島の沖合い5㎞ほどのところにあります。
1810年頃といいますから文化・文政時代でしょうか、石炭が発見され、佐賀藩が細々と採掘していましたが、維新後の1890年(日清戦争前夜ですな)、三菱合資会社が買収、海底炭鉱としての本格的な開発が始まります。
元々は、「島」というより「岩礁」という言葉が似つかわしいちっぽけな土地でしたが、炭鉱員およびその家族の居住スペース確保のために周囲を埋め立て、それでも間に合わなかったのか、拡張は垂直方向へとシフト。海上に高層建築が乱立するシルエットが戦艦を思わせるということで、「軍艦島」と呼ばれるようになったのだそうな。
最盛期には5,000人以上が住んでいたということですが、エネルギーの主流が石炭から石油へと変わったことでその役目を終え、1974年1月に閉山。同年4月には全ての人が島を去りました。
それから41年の時を経た2015年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つとして世界遺産に登録された…ということは、皆さんもよくご存じのことと思います。

軍艦島上陸クルーズを企画している会社は現在5社ほどあるそうですが、stick boyはT海上交通グループのツアーを選択しました。
その理由は、最も安かったから!
…。

真面目な話をすると、軍艦島は湾内ではなく外洋に浮かんでいるため、天候…というか波の状態次第では、近づくことはできても、上陸できないというケースもあるそう(夏休み明けに職場の同僚と話していたら、「行ったんだけど、上陸できなかった…」という人がいました)。
なので、「行ってみたい!」と思っている方は、船の大きさがそれなりで、上陸率の高いツアー会社…ということを最優先に選ぶことをお勧めします。
ちなみに、僕は予備知識がなかったので値段で選びましたが、後述のとおり、ガイドさんの解説も詳しく、非常に満足いたしました(値段が安い=参加人員が多い=船が大きいので安定しているということはあるのかも…)。
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乗組員および乗客に告ぐ!本船は只今よりウソツキの支配下に入った…というようなふざけたネタは、今回はやりません。


航行中にも、見るべきものは沢山あります。


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世界遺産に登録された三菱重工・長崎造船所のジャイアント・カンチレバークレーン(1909竣工)。現在でも現役で稼働中。


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海上自衛隊の護衛艦。米海軍との演習に参加後、折からの北朝鮮情勢を受け、メンテナンス及びミサイル防御機能を付加するために入港中とのこと。


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やはり世界遺産に登録された小菅修船所跡のソロバンドック(こちらは行きではなく、帰りにちらりと見えます)。
こういったものを、ガイドさんが逐一説明してくれるので、道中、まったく飽きることもありませんでした。


さて、このT海上交通のツアーでは、途中、端島のすぐ隣にある高島という島に立ち寄ります。

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ここも炭鉱の島だったようですが、端島のように無人にはなっておらず、人が住んでいるようです。

そして、猫もいます!!
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ここで軍艦島の100分の1模型と石炭資料館を見学。

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普段は、この模型で軍艦島にある建物について解説するそうなのですが、本日はベタ凪のため「船のマイクでも十分聞こえると思いますので、解説は後ほど船上で行います」。
この日は、「年に10日あるかないか」(ガイドさん談)の、穏やかな日だったのです!
晴れ男・stick boyの面目躍如!
Sonny Boy Williamson IIならぬ、Sunny Boy Williamson IIと改名しようかと思う今日この頃(そういう名前のブルース・ハーピストがいたのよ)。
…話が脱線しかけていますが、この高島ではトイレに寄ることができます!(軍艦島にはトイレはありません)。
こういった夏場の晴天の日は、水分がほとんど汗になって出てしまうからいいのですが、冬の寒い日だったりすると、ここでトイレに寄れるというのは、重要なポイントなのではないかという気がします。
あ、ちなみに軍艦島には日陰がまったくありません。
なので、夏場のクルーズに当たっては、帽子とタオルとドリンクを忘れずに持っていくことを強調しておきます。
(このT海上交通のツアーでは、軍艦島上陸後、氷を配ってくれました。こういうささやか気配りが、満足度を更に高めてくれました)

高島を後にするとすぐ、軍艦島が見えてきます。
船上マイクによる解説を聞きながら周囲をぐるりと回り、いよいよ上陸です。

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こちらは裏(外洋)側からのショット。逆光のせいで空襲受けたみたいに真っ黒になっちゃいましたが…(笑)


先程、「軍艦島上陸クルーズを企画している会社は現在5社ほどある」と書きましたが、その5社がバッティングしないよう、上陸時刻及び滞在時間(30分)は厳守となっています。
我々観光客が立ち入ることが出来るのは、島の東南に位置する桟橋から南側にかけて作られた見学通路のみ。
時計でいうと、およそ四時から七時程度の範囲です。その間に3つの広場があり、そこでガイドさんの話を聞きます。
一番南側にある第3見学広場から戻ってくる、せいぜい10分程度が撮影タイム。
以下、限られた時間でわたわたしながら撮った写真に、個人的所感及びガイドさんの解説から得た知識なども付記しつつ進めます。

あ、その前に、もうひとつ重要なことを!
採掘に関する施設は、島の東側(=長崎側)にあります。前の方で、「炭鉱員およびその家族の居住スペース」云々と書きましたが、そういったスペースは主に島の西側、即ち外洋側に建てられています。波が高いのは、当然外洋側です。
当時、炭鉱員およびその家族の家賃・水道光熱費は全て三菱が負担していたそうですが、居住スペースを盾に、採掘施設を守るような作りになっていたんですね。
資本主義が徹底されていた訳です。

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上陸して真っ先に感じたのは、横たわるコンクリート片、瓦礫類の「重さ」。
島の現在の風景は予め写真などで見知っていたつもりですが、実際に目にしてみると、その「質量」に圧倒されます。
視覚を通じて重さが伝わってくる…というか。
桁外れの質感を、本来それを感じるべき感覚器官とは別のもので受容するという初の体験…。
東北の震災級の何百年に一度というような災害ではなく、毎年の台風・高波・高潮…それらが43回繰り返されるだけで、我らの営みはこんなふうになってしまうということ。
「想定外」とか「想定内」なんていう詭弁をいじくりまわしていないで、人類の力なんて、所詮ちっぽけなものにしか過ぎないということを認めるべきでは?という気にさせられます。


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石炭というのは、精製する前は、その3倍くらいの「石炭なりそこない」=「ボタ」とともにあるそう。その「ボタ」を当初は炭鉱施設の側、長崎側の海に捨てていたのだそうですが、やがて、海が浅くなると船が着くのに差しさわりがあるということで、住民が居住するアパートメントの2階部分に穴を開け(!)ベルトコンベアーで、外洋に向けて捨てるようになりました。
小さくて分かりづらいですが、この写真の中央、やや下にある逆U字の穴(コンクリートで塞がれている)がその跡とのこと。

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雨風・日祝関係なく動き続けるベルトコンベアーが年に1度だけストップしたのが、端島神社のお祭りの日である4月1日だったそうです。
祭られているのは、山の神である大山祇神。


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山上にそびえ立つこの建物は、三菱幹部社員用の社宅。島内のアパートメントには原則風呂はなく、一般島民は共同浴場を利用していましたが、この建物だけは各部屋に風呂がついていたとのこと。間取りも一般島民用のアパートメントより広かったそうです。


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抗口。炭鉱員たちはここから、最深で1,100mの海底へと潜っていったそう。
交わされる「ご安全に」という挨拶は、ただの「挨拶」ではなく、すれ違う相手への「祈り」であったに違いない。


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1916年に建てられた、日本最古の(即ち同潤会アパートなんかよりも古い)鉄筋コンクリートアパートと言われる30号棟(写真中央)。

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隣の建物との間の階段をズーム。
この階段の奥には、ダンスホールがあったそうです。
モダンな生活が忍ばれる。

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島のほぼ南に位置する海水プール。
冬は子供たちの野球場になっていたそうです(ただしホームランは禁止だそうで)。

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目につくもののほとんどが、大正~昭和の遺構である中、この島が「明治日本の産業革命遺産」とされた理由である明治期の護岸。ぶっちゃけ、せいぜいこの10数メートルだけ。
もう「昭和遺産」でいいじゃん。「昭和」をなめたら、あかんぜよ。

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正面の70号棟は学校。4階までが小学校、6階が講堂(及び図書館・音楽室)5階と7階が中学校だったそうです。
写真左上にトンボが写り込んでいますが、めちゃめちゃ飛んでいました、トンボ。
ご覧のとおりあちこちに雑草が生い茂り、雨水だって溜まっているでしょう。
ヒトにとっては「廃墟」でも、トンボにとっては「楽園」なのかもしれない。
島だって、「人間の土地」であることから解放され、「ほっ」としているのかもしれませんん。

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学校の左側の建物には幼稚園があり、緑生い茂る天上の中庭まであったそう。
ちなみに端島に高校はなく、船に乗り高島まで通ったそうです(あるいは、進学せず父親と同じ炭鉱員となるか)。

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桟橋からすぐにある地下道。前述のとおり、居住スペースは外洋側ですので、炭鉱員の家族たちは、例えば長崎や高島への外出から船で戻ってきたら、この地下道を抜けて家まで帰ったのだそうです。


繰り返しになりますが、現在我々が立ち入ることが出来るのは、島の東南に位置する桟橋から南側にかけて作られた見学通路のみです。
今後整備が進めば居住スペースのある西側、あるいは北側にある学校や端島神社まで行くことが出来るようになるかもしれません。
その一方、台風・高波・高潮による崩壊・崩落は、今、この瞬間にも起こっているやもしれず、軍艦島は、刻一刻とその姿を変えているのです。

奈良原一高が『人間の土地』で捉えた光景と同じものはもう撮れない。
同様に、僕が今回の旅行で捉えた凡庸な光景と同じものも、もう撮れない…のかもしれない。
(…「何をエラそうに!!海の藻屑と消えろ!ボタとともに沈め!」とか言っちゃイヤ)。
そう考えると、滞在時間わずか30分のクルーズでしたけれど、参加して良かったと思うのです。

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軍艦島よどこへ行く。
だぁれも乗せずにどこへ行く…。

category: ウソツキ終末旅行

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コメント

大学生になってまあまあいろんなところに旅行しているけど、日本国内を旅行することは少ない気がします・・・
長崎いいですねえ。ごはんもおいしそう。

軍艦島は一度は絶対に行きたい場所の一つなので、その「凡庸」な景色が見れるうちに行きたいものです。

URL | クロ #-
2017/09/09 14:15 | edit

クロさん

> 大学生になってまあまあいろんなところに旅行しているけど、日本国内を旅行することは少ない気がします・・・
そりゃそうだろうよ(笑)
今のクロさんにとってみたら、「日本」が「外国」みたいなもんですからね(ちょっとウラヤマシイ)。

> 長崎いいですねえ。ごはんもおいしそう。
よかったですぅ♪
記事では1泊しかしていないように書きましたが、実際はもう少し長く滞在したので、他にもいろいろ食べました~。
ちゃんぽん、旨かったぜ!

> 軍艦島は一度は絶対に行きたい場所の一つなので、その「凡庸」な景色が見れるうちに行きたいものです。
まぁ、軍艦島にかかわらず、「凡庸」だと思っていた景色ほどいともたやすく損なわれてしまうものなんですけどね。
そのことに自覚的になって、旅先であれ身の回りのものであれ、見つめていきたいものです。

URL | stick boy #-
2017/09/10 18:49 | edit

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