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第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展   

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こんにちは。
日用美術館の時間です。
今回は、国立新美術館で開催されている第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展の模様をお伝えします。
今年も部門や賞の種類にかかわらず、個人的に気になった作品をご紹介していきます。
…。

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小林賢太郎演劇作品 『うるう』 (at KAAT 神奈川芸術劇場)  



素晴らしかったなぁ。

再演とはいえ、2月いっぱいまで公演が続くので、あらすじについてはあまり詳しく書けませんが、チラシから転載すると…
“うるう年のうるう日のように、「余りの1」が世界のバランスをとることがある。これはカレンダーだけの話ではなく、人間もそう。世界でたったひとりの余った人間「うるうびと」。彼が少年と友達になれなかった本当の理由とは…。”

言葉遊びやパントマイムを駆使して演じられるコミカルな場面から、やがて姿を現してくるちょっぴり切ない物語。そして、まき散らされた伏線を掻き集めて見事に立ち上がる感動のエンディング…。
こうして書いてみると、いわゆる小劇場演劇(野田秀樹らのことを念頭に置いています。最近のものは、あまり良く知らない)の典型のような気もするけれど、この人の場合、そういった「演劇シーン」とは全く違った流れから生まれてきているところがパンクだなぁ…と思います(だって、「ラーメンズ」と言えば、お笑いでしょう?)。
「演劇は総合芸術だ」ということはよく言われるけれど、恐らくは小林賢太郎という人が、ストーリーテリングや絵心、言葉や笑いのセンス、マイム…ありあまる才能を最大限に生かそうした時、必然的に出来上がったのが「総合芸術」だったということなのでしょう(鑑賞者の中に様々な感情を引き起こすという点においても、この作品はまさしく「総合」的でした)。
とはいえそれは、「≒演劇」であるけれど、決して「=演劇」ではない。
「演劇シーン」とは全然関係ないところで、ひとり(まぁ、かつては、片桐仁という相棒がいた訳だけれど)「表現」に臨む孤独と、それが観客と出会うことによって「余り」ではない満たされたものとなる…この物語は、そんなメタファーであるのかもしれません。
…全然、違うかもしれないけど…笑



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画鬼・暁斎~幕末明治のスター絵師と弟子コンドル展  

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三菱一号館美術館で開催されている、「画鬼・暁斎~幕末明治のスター絵師と弟子コンドル展」の感想。


ジョサイア・コンドルと言えば、この美術館のある三菱一号館(今建っているものは、復元されたものですが)や池之端にある旧岩崎邸などの設計者として有名ですが、日本美術にも興味を持っていたようで、工部大学校の教授として辰野金吾らに建築学を教える傍ら、自らは河鍋暁斎に弟子入りして、日本画を学んでいます。


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左は、コンドルが描いた鯉の図。右の暁斎の手による画の模写です。
2枚の画は、並べて展示されているわけではなく、コンドルのものが先に出てきて、しばらくしてから暁斎の画を見るという順番になっています。
コンドルさん、上手いんです、とても。
生半可な気持ちで、暁斎門下に入ったのではないのだということがわかる。
後進国・日本の美に魅了され、それを本気で学ぼうとする開かれた精神。
頭の柔らかい人だったんでしょうね。
余計なノイズに惑わされることなく、本質を見抜く感性を持っていたのだと思う。

ただ暁斎の画と比べると、無難にまとまっているな...という気もしてきます。
そもそもコンドルは暁斎の画を手本にした訳ですが、暁斎は、単純に池の鯉をスケッチしたというより、観察に観察を重ねて鯉の姿形を頭に入れ、それを一旦分解して、再構築するように描いているように感じられる。
一たび現物のデータを取り込んでしまえば、その扱いは自由自在。
見たことのない角度、ポーズで対象を再生することができる(CGのように!)。
暁斎筆の画の右側中段に鯉を正面から捉えたものがありますが、水中の鯉を正面から見る...という機会って、そうはなかったと思うのです。
それを、いかにも「こうでしょう!」とばかりに描いてしまう技術が、コンドルを心酔させたのでしょうね。
(あと、暁斎の鯉の方が、どことなく生臭~い感じがしました...←)


で、暁斎。

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下方、威圧感たっぷりな白鷲に怯えるお猿さんに注目。
明らかに想像で描いた図なのでしょうが、鷲の堂々たる姿(こちらは、実に写実的)と相まって、実際にこんな光景があったのではないかと思ってしまいます。
頭を抱える猿の姿に、白鷲の迫力がより一層増して感じられ...というフィードバックのような効果が生まれているのも面白い。


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上の「白鷲に猿図」からも察せられるように、暁斎は類稀なるユーモア・センスの持ち主でもありました。
そんなユーモリスト・暁斎の魅力が最も現れているのといえるのが、彼が亡くなる直前までつけていたという絵日記。
マンガ的タッチでさらさらと描かれている上、お酒のいただきものがあったときにはお酒の妖怪、お菓子のいただきものがあったときにはお菓子の妖怪が登場したりします。
同じものを描くのが次第に面倒になったのか、ハンコを作って押すという合理的?精神も発揮。
コンドルも「コンテルくん」として、たびたび登場します。


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そうはいっても暁斎さん、狩野派で修業しただけあって、真面目に書いた絵はやっぱりすごい。
これなんかも、太い筆で、無造作に「がっ!」と描いたように思える塊が、見事に鴉の形態を成している。
水墨画って、大胆に力強く描く部分と、緻密に細部まで書き込んでゆく部分とがあるのと思うのですが、この人は、そのフォルティッシモとピアニッシモの振れ幅が異常に広い気がします…。


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狩野派に入る前は、歌川国芳のもとで修業したそうで、どことなく浮世絵を思わせる美人画もお手のもの。


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と思ったら、美人に蛙の相撲を見物させてみたり 笑


暁斎の絵を見ていると、伝統的な流派の技術を身に着けながらも、その枠に収まることができずに飛び出して行ってしまうおかしなエネルギーを感じます。
単純に「新しいもの」(この時代であれば、「洋画」ということになるのでしょうが)だけが、イノベイティヴなのではないんですよね、きっと。


いや、しかし、話題の展覧会ということで、東京から人がいなくなるお盆を狙って見に行ったのですが、驚きましたねぇ。
あまりに混んどるので。
...。


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山口晃展  前に下がる 下を仰ぐ   

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早くも、今年のベスト・オブ・美術展になりそうな予感....ガクガク(((;゚Д゚)))ブルブル


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没後100年 小林清親展~文明開化の光と影を見つめて  

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何度か書いているけれど、東京が好き好きで仕方がない。
そんな大好きな街を、せっかくカメラを持ってぶらぶらしているのだから、自分なりになんとか写真に留め置いてみようと試行錯誤をしている…のだけど、これがなかなか上手くいかない(ので、猫の写真ばかりになっているのです...)。
そこで、先人たちはどのようにこの街を捉えたのかを学ぶべく、(写真家ではないけれど)練馬区立美術館で開かれている明治期の浮世絵画家・小林清親の展覧会へと足を運んだのであった...。


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